2017.09.12 サイト移転のお知らせ

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 ボロボロのコートを纏った物乞いが横町に座り込んでいる。襟を立てて顔を埋める彼は通りを歩くぼくをじっと見上げ、ぼくもまたその男に一瞥を返し、髭面ではあるがぼくとさほど変わらぬ齢であることを知る。この男は何日間こうして過ごしてきたのか考える。身なりからするにだいぶ長いのだろう、よく持ち堪えた方だと驚く。通り過ぎたぼくはその男を振り返り見る。彼はもうぼくを見ていない。ぼくに施しは端から期待していないらしい。
 向こうから灰色の三つ揃いにハットを合わせた老年の男が歩いて来る。胸に懐中時計の銀色のチェーン、手にステッキ。整えられた灰色の優美な髭。前方の物乞いを一瞥するが、与えるものは何も無い。
 物乞いが立ちあがる。ゆらりと。懐に隠した手を老人に向ける。驚きに目を見開き、老人は立ち止まる。
 鋭い発砲音。
 ハハハ! と男の笑い声。それは老人のものだった。物乞いは手を上げ、ニヤリとした様子で得物をちらつかせる。銃口から飛び出したのは鉛玉ではなく赤い花で、風にそよぐその一輪をそっとつまんで引き抜いた。物乞いがパチンと指を鳴らすと、花は白に色を変え、頭の上で花を一振りすればそれはステッキに変わり、それを回せば白いハンカチになる。ハンカチをくしゃくしゃに握り込んで勢いよく手を放すと、何羽もの白い鳩たちが狭い横町の空へ飛び立った。
 物乞いは恭しく一礼する。老人は機嫌よく大笑いし手を叩く。ハットを脱ぎ二言三言語ると、若者を連れだって通りの向こうへ去っていった。またひとつ契約が成立した。物乞いだった若者は背筋を伸ばし悠々と歩く。近い未来にステージに立つ凄腕のマジシャンが髭を剃った彼であるとぼくは見抜けないだろう。お別れだ。いつか同じ店で働くかも知れない、ぼくより少し年長者であろうその男の背中を見た。その姿は勝者のそれだった。
 こういった路上の契約の存在は知っていたが、目撃したのは初めてだった。立場の一八〇度転換。路上の屋根無しから大スターへ。しかしあのマジシャンの成功は決して運によるものではない。彼は恐らく長い間あの場に居座り成功を待ち構えていた。いつか現れる審査員を確信を持って日々待ち続け、ぼくの目の前で筋書き通りに成功をおさめただけに違いない。そうでもなければこの街で物乞いで食える筈がない。すべては実力による当然の報いだった。
 出来ることがひとつあればそれでいい。ひとつでもあればそれでいい。住処も食事も娯楽の金も何だってそれで賄える。定まった自分の役割があればいい。それは街を動かす大仕事の市長も、客を楽しませる歌手でも、街の掃除婦も、要人のお抱え暗殺者にも同等に言えることだ。
 建物と建物の間に自分の役割を据えること。空間を埋める積み木のパズルのように、うまく自分のピースを積み木の中に紛れ込ませて生き延びること。自分一人分の隙間を街の中から探し出す、あるいは自分を隙間の形に組み替えること。
 役割の無い人間はこの街から殺される。物乞いを助けるものはこの街には存在しない。だからあのマジシャンは生き延びた。一方で能力の無い物乞いはどこかへ消えた。誰も何も与えなかった。
 ぼくはここに暮らしている。ぼくは場末の小さなバーで毎夜ピアノを弾く役割を担っている。


2014.05.05 第18回文学フリマ 初版発行
文庫版 200ページ

『これは物語ではない』3作目の販売書籍。
黒い紙に黒いインクで印刷された、解読困難の本。
人を癒やすためにお芝居を提供する街で、お芝居に飲み込まれる鬼才の俳優と、彼を見つめるジャズピアニスト。
二人の交差によってその街の何かが綻びはじめる。
物語を読むという行為それ自体への怒りと願いが向けられる。
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「みんなXのこと好きだよ。
仕事中にピアノ聴けるの、すごく嬉しいから」
Patoricia / waitress


「ただあんたは掛替えない。
うちで雇うには惜しいくらい腕の良いピアノマンだ」
Joshua / barman


「あなた自分がどこから来たのかちゃんと思い出して」
Mercedes / waitress


「もしも目蓋が二枚重なっていたらどうする。
もう一度目を開けてみろ。眩し過ぎて目が潰れる」
SCARECROW


「見ましたでしょう、彼の眼。その真価は舞台上で発揮します」
BIRDHEAD


「夢とまやかしの街だから。
まやかしと分かっていても虚像に縋らなければならない」
Iris / past pianoman


「でもそこにおれはいない。芝居は芝居であっておれではない」
O / actor


「――ぼくはただピアノを弾いてるだけなんだ」
Xioma / pianoman
special
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