「という挫折体験さ」

 そうだろうか。僕には挫折とは違って聞こえた。人間関係は確かにバッドエンドかもしれないけど、人生においてエンドではない訳だし、実は作中の二名ともつい先日に出会ったそうである。全くエンドしていない。ただ、苦い思い出ということだ。

「逆にこの件のトゥルーエンドって何だと思う?」
「何があったのか、どうしてなのか、とか、本当は嫌いじゃないんだみたいなことを、口に出来たらですかね」
「出来る? 君なら」
「無理っす」

 たとえ話として僕は荻原のことを考えた。僕は荻原が、誰かと交際していたらと考えた。荻原の好きなダンディなオッサンだったら、ああまあ良かった良かったと思っただろう。同じ学年の誰かだったら、と考えて、つい先日それに近い事件があったことを思い出してものすごくばつが悪くなった。

「統計データとして聞くだけでエピソードには興味ないけど、八月一日くんはカノジョっているの?」
「いないです」
「いるか、いらないかで言ったら?」
「いらないんじゃないかなあ……いたらいたで考えますけど、そんな贅沢、オレには回ってこない気がする」
「贅沢なの?」
「贅沢じゃないっすか? あれ……もしかしてモテてました……?」
「今はそこそこ。人当たり良くだね。人情は大事な道具だ」

 結局このひとは傷ついたのに、傷を売り物に生きる強かな人間のようだった。でなきゃ、いくら高校の後輩だと言っても、その辺の高校生に身の上を語る度胸はない。

「あ、もしかしたら当時の先生とか、まだいるかもしれないですね」
「でも校舎も改築しただろ? けっこう変わったんじゃないか」
「生物室のアカハライモリ」
「ああ、いたいた……なんだ、あんまり変わってないのかな。クラゲの稚魚は見た?」
「稚魚?」
「こんなちっちゃい奴。米粒を半分に切ったぐらい。半透明なのを、理科の先生、何て言ったかな、高校理科の学会か勉強会で分けて貰ったって言って授業中見せてくれたんだよ。そしたらあいつが先生より詳しくて、あとで先生と話し込んじゃって、俺なんかサッパリだから何がどうスゴいのか分かんねえけど貴重だったみたいでさ。生態を教えてくれたんだ。何も覚えてないけど」

 でも教えたことは覚えていて、そのひとときだけは記憶に刻まれている。

「なんか、聞いてると、別にその人のこと好きなんじゃないの? って思うんすけど」

 一滴たりとも呑んでいないが僕も雰囲気に酔っているようだ。

「言うねえ」

 高田氏はニヤリ笑った。弁解しようとする僕を制して続きを促す。「言え言え。言わなきゃ伝わらない」
「聞いてると……その人とは仲良くできるんじゃないかなって。あと、女優さんの方とも本当は仲良くできると思う。三人でいるのが相性悪いんじゃないかな……。三人組ってひとりは疎外されるじゃないですか。オレだけかなあ」
「まあ、つまりそうじゃなきゃ、どうにかね」
「たぶんですけど」
「そうか、な」

 皿の上に余っていたオムそばを等分してかっ込んだ。僕らが追加の水を頼むと、個室にさがった照明が軋んだ。隣の個室がどよめいた。

「地震……?」

 大きく縦揺れがあった。短く、一撃が大きかった。とっさにこわばり身をかがめた僕だったが、緊張しながらも落ち着き払って店内の様子を注視する高田氏に、生業のプロフェッショナルをふと痛感した。
 震源と規模を知りたかったが、地下だからか、端末はなかなか電波を拾わなかった。

「デカいな」
「ですね」

 縦揺れはすぐに収まったが、照明はまだ天井で揺れ、他の客席から不確かな話し声が届いた。

「何事もないといいけど」

 高田氏は店内を見つめていた。店内の喧騒は元に戻り、隣の席の人々が口々に言い合う感想に僕は頷いたり疑問を抱いたりしていた。結局、こうやって呑気に座っているのだから、有事の際は痛い目に遭うのだろう。
 電波を拾おうとして端末を振り回しているとようやく低速モードで回線に繋がり、不在着信に気がついた。

 断って地上に出た。夜には雨と聞いていたが、小雨がぱらつき始めていた。高架下のせいか店舗の前も電波が悪く、少しうろうろして一本隣の通りまで歩いた。発信者は荻原だった。やっと回線が繋がっても今度は相手が出ない。

『夕飯食べに行ってるから、またあとで連絡するよ』

 メッセージを残して戻ろうとした。しかし何か思うところがあり、それはこんな時間にテキストではなくわざわざ電話を残してきたからだったが、一言、

『大丈夫?』

と添える。

 今度こそ戻ろうとすると今度はcelestaからメッセージが入った。地上に出てから堰を切ったように電波が流れ込んできているのかもしれない。

 

(この地震による津波の心配はありません)

inserted by FC2 system