シュールレアリスムの展覧会を観に行った。時計が溶けているダリの絵は俺でも知っていた。悪趣味で、気持ちの悪いものをわざと描いた、ふざけた絵だと思っていたが、説明書きを読むとかなり真面目な取り組みだったようだ。美しければ良しとされた普通の風景画なんかよりも理論的に批判を構築した結果、怪奇な表現にたどり着いたようだった。

 塔子はパイプの絵を気に入った。シャーロック・ホームズが口に咥えているようなリアルなパイプたばこを描いた絵だった。絵の上に書かれたフランス語の一文は、翻訳すれば『これはパイプではない』という意味であると解説がある。

「これは絵だから、パイプっていう実用品じゃない。絵に描かれたものはもう、描かれたそのものじゃなく、絵でしょ。だから、風景画を買っても、別に風景を支配できるわけじゃないの」

 昔々、写真がない時代、絵画は絵ではなく、別世界に開かれた窓だった。たとえば宗教と神話の世界を描いた絵はただの絵ではなく、額縁の向こう側には本物の神の世界が広がっているとされた。宗教の支配から王政の時代になって、絵画は権力者の肖像画という記録媒体になった。絵が絵として味わわれることはなく、絵は本物の神話世界・為政者・土地を引用するための窓だった。その後写真術の登場で、「本物の代用品」として用いられてきた絵は役目を終えて、「純粋な絵」として固有に自立したが、絵を見ている人はいまだに「絵」を紙や布で出来た物質とは思わず、描かれている人や風景を見て、きれいだなどと感想を言う。風景画を見るときに、見出されているのは絵ではなくモデルになった風景のイデアだ。風景画を部屋に飾ると、あたかもその風景を手中に入れたように満ち足りる。それは窓ではなく、窓の向こうに世界は広がらず、絵は空間ではなく平坦な紙か布か板の表面だというのに。

 そんなことを書いた書物が塔子の父の蔵書にあったそうである。

「そっか」

 納得以上の感想がなかった。語られているものごとのなかに俺はいなかった。

 水族館の方が無邪気に楽しい思い出として記憶に残っている。これも三人で行った。カップルばかりで、三人揃ってうんざりしたが、俺達は何なのか、誰も俺達自身に教えてはくれなかった。イルカショーが面白かったと、子供じみた感想を抱いたが、本当に面白かった。哺乳類の巨体が水しぶきを立てて身の丈よりもはるか高くをジャンプしているさまは、重力に打ち勝つような興奮を覚えた。体は泳ぐための流線型で、筋肉は游泳に特化して強靭だった。力を溜めた巨体が跳躍すると、水槽の上、青空の下に、うつくしい曲線によるスピンが尾を引き、背景の海は青くトンビが舞って、だんだんと、むしろ、かれは泳ぐためではなく空を飛ぶために生まれたのではないかと、夢想しながら、子供たちや家族たちのおおーという間の抜けた感嘆が客席を包むので、僕らも気にせず、イルカが跳ぶたびに声を上げて、感想が未整理のまま口をついて出た。

「カッコイイな」と敬司くんは興奮して語った。
「すごい」塔子さんも嘆息していた。「イルカショーなんて子供だましだと思ってた」

 爽やかな陽気だった。創立記念日を利用して僕達は海辺に遊びに行った。

 生き物たちが水槽のなかで呼吸をしていた。泳いで、身を翻した。小さな魚と大きなイルカに挟まれて、人間のスケールを思い出すとめまいがした。低い耳鳴りのような館内BGMの下で、暗い光と青い水槽の前で、頭上を過ぎる生き物たちの白い腹を見ている。海底を疑似的に呼び覚ますありえない風景に、海抜が分からなくなる。意識が潜水する。二人とはぐれたと、思ったが、先の順路に進んでいた。こういう風景に覚えがあった。髪の長い女性が男性を連れて先に行ってしまう風景。その風景には必ずおなじ感情が伴っている。僕は二人が去るのを惜しむ気持ちでいるが、僕には止められないという、もどかしさも、記憶している。いつもそれがはじめてではないが、はじめてのきっかけは思い出せず、その日の水族館もはじめてではなかった。思い出そうとしてふと大水槽を振り返り見ると、頭上をアカエイが横切り、外敵のない大いなる遊泳を見上げているうちに、泳ぎ疲れた後のように腹の底が鳴って、気管がむせ返って咳の発作が出た。口を抑えて咳き込むと手とシャツが濡れ、飲み物を溢したような気分になった。手を濡らした液体が自分の口から出たものだとしばらくは気付けなかった。

 二人は深海のエリアでユノハナガニを眺め、丁度生物の講義で習ったばかりの熱水噴出口の風景を知った。水圧で圧縮されたカップラーメンの容器を見た。オオグソクムシの生体を見た。画素の荒い携帯電話のカメラは、薄暗いなかで蠢く生物の撮影に適していない。

 通路左手の小部屋には複数種のクラゲが展示されている。正面のひときわ大きな水槽の中身は青や紅にライトアップされ、乳白色の丸い群れは水槽のなかでゆっくりと攪拌されて、照明の変化によって低速の万華鏡のように姿を変える。時の流れがゆるやかになった。時間が水の抵抗を受けているようだ。

 二人はその少し離れたところにある水槽の名前を読み上げた。

「タコクラゲ」
「どっちだよ」
「クラゲなんだよ」

 直径5cmの半球に先分かれした脚がついている。半球は水玉模様の薄橙色で、それを一生懸命に拍動させて推進力を得て泳いでいた。

「かわいい」と訪れた女性たちが囃した。女はすぐにかわいいと言った。彼女も御多分に洩れない。確かに、健気な小動物だった。

「俺は気持ち悪いな」

 順路を行く。今度は長い髪の毛のような触手が水の中に糸を引いている。先のタコクラゲのように積極的な拍動は見せず、水の流れに身を委ねきって流されて、時々思い出したように一掻きだけ拍動し、その一歩の分だけ浮上するが、また水の流れに任せて沈殿する。得体の知れない姿におそれを抱いた。顔の無い生物は恐ろしい。およそ意思どころか野生も感じられない生き物だが、これでいて有毒で、強い神経毒をもち、死亡例も報告されていた。夏のニュースで海水浴客がクラゲの被害にあった報告を例年放映しているのを、すぐには思い出せなかったが理解には結びついていた。

 複数の個体を同じ水槽に入れると、長い触手は絡まって結び目になってしまった。おのおのが別方向に流されるせいで、結び目はいっそう固く幾重にもねじれて、ちぎれた触手が水中を舞った。女の長い髪がもつれて痛む様子。縺れながらもどかしくも自滅に向かう生き物に苛立ちがつのった。けれど、透明な壁に隔てられているうえ、その脆さと猛毒のために解いてやることは叶わない。橙色の分厚いゼリーは花にも魚にも動物にも似ていない固有の半透明色だった。かさの縁から十二方に伸ばした朱色の触手の根元は肉厚で、拍動のたびにダイナミックに波打った。かさの中心からは茸の柄のように太く白い芯が生え、それはフリルのようにたなびきながら枝分かれして触手とともに糸を引いている。

「汐孝は?」

 その水槽の前につっ立っていた。

 ひんやりした水の温度が水槽の並ぶ一室を冷やした。それは皮膚感覚の冷たさのみならず、イメージの上での冷ややかさだった。水温の冷ややかさ。照明の冷ややかさ。研究機関の冷ややかさ。心象の体温を奪う冷ややかさだった。

 白い指先でアクリルガラスの表皮をなぞる。ゼリー状の生物の曲面が彼に応じる。それは彼の額と鼻筋の形を思わせる。

「汐孝」

 ベンチに座っていた塔子が呼びかけた。

 その後、砂州に架けた橋を渡って島の方へ歩いていき、観光地にあたる参道を登って、島の頂上の展望台のチケットを買った。塔子と帆来は島の急坂にバテていた。励まして、展望台に登り、戸外の空間に出ると、風は涼しく、トンビとカモメが頭上すぐそばを舞った。薄灰色の砂浜が相模湾沿いに視界のはてまで延々と連なった。太平洋側から振り返り見た海岸線の入江と岬の輪郭は、確かに地図上の日本列島の一部をなしていた。海の方は薄もやがかかって、水平線は不明瞭だった。雲は白い引っ掻き傷のように、天頂から水平線に向かって弧を描いていた。日差しに西日の銅色が混ざり始める時刻で、青空と金色は相反して、空と海とが濁りながら金属色に眩しく反射した。二人は隣り合って海を眺めた。二人は殆どお揃いの、スカートであるかズボンであるかしか差異のない白と紺の服をまとっていた。

 銅の光が網膜を焼き、皮膚をゆるやかに火傷させた。傷口に塩を塗るかのような海風、細く長い彼女の髪が向かい風に暴れてはためいた。

 携帯電話を取り出して、スピーカーを指の腹で塞いで、シャッター音を隠して写真を撮った。そんなことをしなくても、辺りは写真を撮る人ばかりだったし、風が絶えず音を吹き流した。

 逆光の二人のシルエット写真。QVGA規格の隠し撮りは、携帯端末の画面解像度の毎年の技術刷新のふるいに掛けられ、いつしか無用の長物の低画素とみなされ、バックアップもなく端末のメモリの底に埋もれた。端末の買い換えと執着心の喪失はちょうど同時の出来事だった。

 だから、何世代も後の端末から、彼女の方から、俺に宛てて、メールが届くなど思わなかった。

 

From:TAKAHASHI To-ko

お久しぶりです。
お元気でしたか。
私は先日帰国しました。
しばらくは東京にいるつもりです。
謝りたいことがあります。
もしご都合がよろしければ、お会いできませんか。
よろしくお願いします。

 

「式には呼んでくれよ?」

 彼女は口元だけあいまいに笑う。

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