苗字順で高橋塔子と前後の席に配置された。少し無理をして、目標偏差値よりも高い高校に滑り込んでみると、級友たちは中学時代では信じられないほど良識的な人間だった。少年少女の間のくだらない意地、例えば性別の違いや器量の大小は、偏差値が約束する合理性に払拭され、高校では自治が保たれていた。彼女が性差をものともせず俺に話しかけたことは、当時の俺には印象的としか言えない体験だった。大人になった今平静に思えばあまりに当たり前のことだったとしても。学校という閉鎖環境に放り込まれて、少年少女は自ずとルールを規定して、生み出したルールに自縄自縛される。男はこうしなきゃいけない。女はこうでなきゃいけない。高校生には男女関係があり、恋を知らなければいけない。

 当時の彼女の聡明さも、高校生の範疇に留まり、思えば高が知れていた。彼女だってルールに甘んじていた。ルールと言って色恋について触れたが、それは色恋に限らず、高校生らしいふるまいすべてが、ルールとなった。ロールでもあった。
 彼女はルールもロールも弁えていた。良い配役を宛てがわれていたとも言い換えられる。
 彼女は俺に語りかけ、出身地の話を交わした。

「ほらい、きよたかって、知ってる? 船の帆が来るって書いて」

 同じ中学校の出身だったから、その名前は知っていた。名前が珍しいから俺が一方的に覚えていただけで、クラスも違い、交友はなかった。
 彼もまたここに進学し、我々と同じクラスになった。

「汐孝」

 俺を連れて高橋塔子は彼に呼びかけた。帆来汐孝は線の細い内気な人物で、塔子とは逆に、俺とも逆に、人の作ったルールのすべてに無関心を貫いていた。

 久々に出会って帆来汐孝は塔子と呼ぶのをためらった。幼少の頃は名前で呼び合っていたのだった。遠慮して「高橋さん」と呼ぶのを、「塔子でいいよ」と彼女はいさめた。そのついでというか余波を受けて、俺も彼女を塔子と呼びはじめる。

 塔子は、明晰で快活な気質だった。小さな劇団で演技を学んでいたためか、人前で物怖じせず、すらりとしたしなやかな背筋で、堂々と自立していた。大概の人の輪に好かれ、友達関係で引っ張りだこになっていたが、誰にも呼ばれなければ汐孝のそばに戻った。俺はと言えば、そういう出会いによって、高校に入って最初の友達が帆来汐孝ということになった。高橋塔子を介して、俺は彼の男友達というロールに抜擢された。でも俺たちにも中学の卒業という縁があるから、友達になれる所以はあった。出身中学からは俺と彼しかこの高校に進学しなかったので、心細さにも後押され、友情に溶け込むのは早かった。

 半年経ったころには俺たちは三人組で扱われた。男勝りなぐらいに聡明な(しかし、生徒会などの重役への就任は周到に避けていた)高橋塔子と、内向的で思慮深い帆来汐孝と、俺は、大抵の昼休みを共に過ごした。二人とも、俺が出会ったことのないタイプの、理性的な人間だった。仲良くできたのは話題が合ったからではなく、気が合ったということだろう。

 二人の父親は同業の建築家で、切磋琢磨し合う同期で、同じ頃にそれぞれ結婚し、同い年の子供を授かった。男の子と女の子だった。「だから双子みたいなものなの」と塔子は語った。俺は深く納得しなかったけど、上辺だけ同意して頷いた。

「深い友達なんだ」俺はそう結論づけた。

「そう」塔子はそう思っていた。

 高橋塔子は清楚だ。顔立ちはずば抜けて華やかというわけではないが、普遍的な清涼感があって好まれた。あるとき親しくない男子生徒から好意を寄せられて、断らなくてはならない日が訪れた。俺はことの顛末を聞いた。

「帆来は違うのか」それが率直な感想だったし、俺もそう思い込んでいたが、彼女は頭を振った。

「付き合うには親しすぎるの」

「双子だから?」

 彼女は笑う。「そうなんじゃないの? たぶん知りすぎて、今更なんじゃないかなあ。早く出会い過ぎたからそういう『好き』を使い果たしてるの。好きってことが安定してるけど、これからドキドキすることはないかな」

 塔子はそれを新規性と呼んだ。
 幼い頃を知っていると関係は幼いままだ。成長してから出会うことで、装い新たに年相当の人間関係を築けるのではないか。

「でも高校で再会して、変わったこともあっただろ」

「でも、変わんなかったことの方が目立つの。彼はね」

「俺は新しいかな」

「敬司は頭がいいから」

 そんな成り行きで、俺と高橋が付き合いはじめた。口約束を結んでも、そんな気はまるでしなかった。

 教室内での温度や、友達間の態度が変わったことはなく、三人組は三人組のまま昼食を共にし、予定が合えば一緒に登下校した。最寄り駅が一緒なので、帆来と同行する日が多かった。電車のなかで彼はたいがい読書をして時間をつぶし、俺は音楽を聴いて、隣に座っていたが会話は少なかった。そうやって過ごしながら、塔子から俺宛にメールが届き、帆来の隣で俺が塔子に返事を打っていると、不思議な気分になる。俺は帆来と真逆だから、新しいのかなと思った。

 塔子がどこそこに行きたいと言う。物珍しいから俺も同意する。すると結局二人で行かずに自ずと汐孝も誘おうという話になって、帆来もなんとなく同意するので、三人揃って遊びに行く。デートらしいデートの経験はなかった。恋人であることは肩書き以外に何の利害も生まなかった。肩書きでしかないのであればそれはステータスの機能を果たさなかった。だから一切は生まれなかった。

 美術館と水族館に行ったのを覚えている。水族館はさておき、美術館なんて、高校生にしてはハイソな休日だった。塔子の親が何かとチケットを調達するのだ。娘と、娘の友達に十分な教養を注ごうとしていた。特に帆来に対しては、息子に接するように親身な態度だった。
 塔子の家である3LDKのマンションの廊下には、両親の所蔵の洋書が洒落た感じで床に積まれて、ダイニングテーブルには明るい紫色の花が生けてあった。白いカーテンがベランダからの微風をふんわりと飾る。来訪した男子高校生たちに白いティーカップでアールグレイティーを差し出す家だった。

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